2008年9月27日土曜日

美味しいゆずジュースと、生キャラメル

 百年以上前の金赤カットのバカラグラス、素敵なグラスでジュースを飲む楽しみ、こんな時代にそんな素敵な時間があればと思います。

ペットボトルから直接お茶や水、ジュースを飲むテレビコマーシャルがあります。そのコマーシャルを見るたびに、ため息をついていました。

 可愛い女の子がオシャレではない。

 今、新しいゆずジュース企画を進めていますが。
 美味しいジュースをオシャレなグラスに入れて楽しむような、素敵なジュースをと創ろうという思いです。

実生栽培のゆずの百年くらいたった古木は、世界に3000本くらいしかなく、そのうち8割近くは、高知の東部地区の山村にあります。
 農協はキコクやカラタチに接木したものに変えて、実生ゆずは切るように指導しています、その理由は。
1. 収量が安定しない。
2. 樹高が高く収穫に役がかかる。
3. 樹に棘が多く収穫が厄介。
 実生のゆずは、香りや味が接木のものより数段勝ります。
デパ地下で、有名な和菓子屋さんが、高知産の実生ゆずのジュースや皮を使って人気の和菓子を作っていますが、昔からユズ農家は【地蜜】と【実生ゆず】を使ってとても美味しいゆずジュースを自分の家で作っていました。
 しかし中山間の農村は高齢者がほとんどで、だんだん実生のゆずを守る人がいなくなって、収穫ができずに廃園になろうとしています。
 私達は本当に美味しいゆずジュースやゆず酢の味を、忘れてしまおうとしています。
 ノースプレインの大黒さんも、地元の蜂蜜とバーター、生クリームなど地元のもにこだわって、あの美味しい【生キャラメル】を造っています。それが他には真似のできない美味しさになっているのです。
 司馬先生の言う【伝統の中の宝】は、自然が脈々と育んできた素材を、生かすことでもあると思います。


2008年9月26日金曜日

 日本で一番の品質の生姜生産地、
高知県土佐市戸波の生姜圃場 

 高知県は、生姜の生産量日本一の県です。
今、三笠フーズのお米の不正問題や中国の牛乳で日本国中が疑心暗鬼になっていますが、生姜は前々からいろいろな不正が繰り返されて、今でも生姜の農薬の問題、外国産の不正など・・・、噂は絶えません。

 高知県では、約40軒の生姜問屋がありますが、一生懸命正直に低農薬で生産している農家の生姜を、過酸化水素水で漂白などしないで、販売をしている生姜問屋は数軒しかありません、しかしそんな頑張る農家や正直な生姜問屋ほど経営がたいへんなのです。
 今までに、不正表示や産地偽装、病気や農薬まみれの生姜を混ぜた違反があり、それによる生姜対しての消費者の不信や、価格の安い生姜に価格競争で市場を奪われているのです。

農家や問屋さんからは。
「正直者が馬鹿を見る、不正をしないと生き残れない・・・。」「スイスは国産の良いものを外国産の何倍でも消費者はかっている、日本の消費者は10円20円高いと買ってくれない・・・。」そんな叫びが今日の 話し合いで私達NPOにぶっつけられました。

 NPO地域支援農業サロンはそんな農家とそれを支える問屋さんを支援するる活動をすることにしました。
彼らとの話し合いで支援をするには、下記のことを守っていくことを条件にしました。
 私達が支援する生姜は種生姜(種にする生姜はもっとも良い生姜でないと、次のの生産が細ってくる)にできる、日本の種生姜の中心になる生産地の生姜を支援、推薦します。 生姜の中の生姜しか支援推薦しません。
1. 生姜の洗いで漂白剤(過酸化水素水)は使わない。
ほとんどの生姜問屋が使っていますが、一見見た目は綺麗ですが、日持ちが悪い(生姜の表面がすぐ劣化し、使わない生姜の半分くらいしか日持ちしない、過酸化水素水は食品衛生法で残留基準がありシラスなどで違反例がある、もし食品衛生法にかかったら取り返しがつかない)

2. 中国産生姜や親生姜、病気生姜の混入違反の徹底排除。
 現在の生姜販売も他の農産物も同じく価格低迷の厳しい状況です。また中国産などの外国産に低価格に押されています。そのために不正が過去に繰り返し起っていますしが、そのような違反をしない。

3.できるだけ化学農薬を使わないで栽培をする。品質が全国トップレベルではないものは支援、推薦しない。⇒それには朝早くから夜遅くまで畑で作業するシンドイ農作業がありますが、彼らは農業が好きで、当たり前のこととして了解してくれました。
 生姜は、国産品を食べましよう。NPO地域支援農業サロンは一生懸命生姜を生産している農家を支援します。


2008年9月24日水曜日

【むらまつねこ】、NPOのロゴマークとして許可される。バンザイ

  NPO・地域支援農業サロンのロゴマーク
      【むらまつねこ・太郎】
 私達のNPO活等のロゴマークとして、村松先生と小学館の方が特別配慮をしてくださり、【むらまつねこ、名前:太郎】をロゴマークとして使用させていただけるようになりました。
メンバー一同、感激と感謝でいっぱいです。【むらまつねこ】、ビックコミックオリジナルのイメージを大切にして、 NPOのロゴマークとして、NPOが推薦する農産物や加工品、紹介文などにロゴマークとして、農業、環境、高齢者、障害者の未来のために慎重に使用させていただきます。
ロゴマークの文言⇒この商品は、農業・環境・高齢者・障害者の支援活動に、売上の一部を活用させていただきます。
NPOの名称⇒NPO・地域支援農業サロン
NPOの活動公開アドレス⇒http://nekonotaro.blogspot.com/

2008年9月23日火曜日

龍馬や慎太郎と維新の志は同じ


  坂本龍馬が新しい時代の骨格を示した、
  【新政府要領八策】
龍馬はこれと同じ内容の手紙を京都寺田屋で七通したため送った、現在、二通が現存している。



NPO・地域支援農業サロンの事務局があります、高知県安芸市は三菱の創設者、岩崎弥太郎の生家と同じ地区にあります。また男爵イモで有名な川田男爵の生家もあり、平成22年のNHKの大河ドラマ(龍馬伝)は岩崎弥太郎や龍馬が、幕末から明治で活躍した時代が舞台です。隣村には龍馬とともに暗殺された陸援隊長中岡慎太郎の生家もあります。


 三菱の基盤となったのは、坂本龍馬の海援隊と土佐藩の土佐商会です。

三菱のマークは土佐藩山内家の家紋です。

2008年9月22日月曜日

河川敷に残したい風景


  河川敷にあった木を残した散歩道

 私の実家は、高知の四万十川の支流の、四万十市にあります。昔は台風が来るたびに、増水した川があふれ、家の前の水田地帯は大きな湖のようになり、毎年毎年農家はたいへんでした。しかし河川敷には竹林と大きな木があり、増水した川からの水やゴミを防いでいました。 国土交通省の前進、建設省はそんな竹林や木を切り堤防を作り、水が増水することがなくなりましたが、あの懐かしい風景や淵や瀬はなくなってしまいました。 そんな時、私の実家の前の川の河川敷に残っていた、竹林や木を切り堤防の改修計画が持ち上がり、何とか残すためにたくさんの人が協力、散歩道として残りました。

 今残しておかないといけないものは、たくさんあるのではと思います。

2008年9月21日日曜日

千花の永田さんとポールボキューズ


   京都、千花
 私達は、我々の祖先から代々受けついできました、日本の伝統食材や料理にもっと誇りを持つべきです。 今、世界で寿しを初め日本料理が受け入れられて、あたりまえになってきていますが、フランス料理のヌーヴェル・キュイジーヌに多大な影響を与えたのも日本料理です。
 千花の先代の大旦那、永田基男さんが亡くなられて、時々雑誌やテレビに出るようになりましたが、日本料理が、今のように世界中で認知される以前、大阪のホテルにシェフとして来ていた、ポール・ボキューズが1ヶ月通い、「貴方のアイデアを使わしてください」と頭を下げた、 ヌーヴェル・キュイジーヌに多大な影響を与えたのが千花の先代大旦那です。

 先代から直接お話を聞き、ポール・ボキューズが勲章をもらたとき、彼からのお礼の手紙とサインをした写真拝見しました。 この話はオチがあります、親友の新藤がF1 の打ち上げをリヨンのボキューズの店でおこなったとき、ボキューズが勲章をつけて、たくさんの弟子を連れてそっくり返って能書きを言ったので、彼が【ムッシュ永田を知ってるか】と質問をしたら、それから何も言わなかったとのことらしいです。

 それ以来彼はボキューズの店では、もっともいい席に案内されたとのことです。

【千花】                             
 白洲次郎・正子をはじめ数多くの文化人が来店した店として知られ、1970年代には、フランスの料理人ポール・ボキューズが訪れ、ヌーヴェル・キュイジーヌに多大な影響を与えたといわれている。
食材、腕、器のすべてが一級品、今もこの店には東京のフランス料理店の人たちがわざわざ食べに来る。また、器は、青磁白磁はもちろん琳派古伊万里尾形乾山清水六兵衛などの美術品クラスのものを使う。

東京農大との交流会

 農大生との交流会、写真【入河内大根】は文書としての記録は江戸時代から残っていますが、土佐の山村で代々受け継がれてきた大昔からの大根です、生で食べても、煮ても煮崩れしないとても美味しい大根。 もうほとんど絶えかけているのを、保存活動を始めたばかりです。

東京農大宮田先生の引率で、遠路神奈川からバスで農大から15名の皆さんが来高して、中山間の農家との交流会を昨年の2/26.27. 28とおこないました。

 大学の農学部の学生でも最近は、農家出身者は少なく、卒業しても公務員や農協、食品メーカーなどに勤めることが多く。中山間地区の農家の実情を知ることはほとんどありません。同級生の宮田先生からその話があり、ぜひ我々NPOとともに中山間地区での農業支援活動を共にしないかとの提案し、三泊四日の予定で彼らはバスに乗ってはるばるやってきました。

 彼らにとっても高齢者の多い中山間地区の実態を知ることは、専門に農学を勉強した者として、これから何が必要かとの実態を知ることができ、刺激になったようです。これから5年間宮田先生の協力の下に、入河内大根(写真の大根)プロジェクトを進めていきます。
今年も彼らは秋にユズの支援活動にやってきます。

今、中山間地区を支える人たち


 北海道興部、ノースプレンファームの牧草地
この風景、この美しい牧草から生まれる美味しいミルクか゛、美味しい生キャラメルになるのです。(生キャラメルはノースプレインファームが北海道で創めて作り販売しました。)


 私達のNPOが、高齢者や障害者支援活動を、なぜ我々の活動の中に入れているか。中山間地区の農村が崩壊していく中、若者や体力のある人は都市に出て行き、残っているのはほとんど高齢者です。また障害者も例外ではないです。

 今、Iターン・Uターンなどの田舎暮らしの奨励制作を地方自治体、国を挙げて取っていますが、中山間地区の崩壊はますます進んでいます。

 日本は75歳以上の人口比率が、10.3%になり、原油、原料の高騰、病院の崩壊など、ますます中山間地区の農村にとってさびしい時代をむかえてきています。都市との農村の共生、それが崩れてしまったら・・・。

私達は失ってしまったものの大きさに気がつきはじめて、今までの流れを大きく変えようとする、大きな政治的な変化が起きようとしています。

 しかし今、早急に私達が手を打たないといけないのは、我々の食料をどうするか、農業や漁業の後継者をどうするか。


 我々の活動に賛同して、支援や参加していただける方を募集しています。

それぞれのできること、隣の人と手をつないで、ちょっとした活動に参加をしてみませんか。

2008年9月20日土曜日

農業を農民の手に取り戻そう

かつては、小・中学生が200人近くいた村の中心地、現在中学校は閉校して小学校は全校生徒4人、来年には閉校となります。

 中山間の農村の現状を見て、日本という国の危機を感じない人はいないと思います。 日本はかつての輝きを取り戻すことはもう無いのではと・・・。

すでに世界は地球規模での食料の配分がおかしくなってきていますし、かつての日本のように工業製品を世界に輸出するために、日本の農業を踏み台にして疲弊させて、世界から安い食糧を輸入する、そんなことができない状況になってきています。
 その輸入食料も政府が言うように本当に安心安全かというと、次々と起る食の偽装や不正事件、国内でも同様の事件。

 伝統的な食を守ることは、日本の伝統や環境を守ることである、そんなことを忘れてしまったような、テレビのグルメ番組にわれわれは疑問を感じています。食べるのに苦労した時代はそんなに遠い時代ではなかったはずです。

都市の繁栄はそれを支える豊かな農村があったからです。その繁栄もこのままでは続きません、そのために何をすべきか。それを忘れた国家があっという間に滅んでしまったこと、それは歴史が証明しています。
 漁業や農業に就業する若者がいない日本、中山間地区が荒れ果てた廃屋ばかりの日本、そんな日本に未来はあるのでしょうか。

 スイスの繁栄は、あの美しい中山間地区の風景を維持している農家に政府が所得保障をして、高くても国産品を買う、意識の高い国民が守っているのです。

司馬先生からのお言葉、【伝統の中の宝の蔵】


 老舗果物店【中央班】千疋屋総本店大島社長、京橋千疋屋谷副社長、高島屋果山の皆さんとの、山村の【伝統食】を食べる交流会、高知県入河内村の皆さんと。


 私達のNPO活動は、昨年からです。
タレントが紹介するテレビのグルメ番組が本当の贅沢なのか・・・という疑問。
 日本人が営々と守ってきました、伝統野菜や果物、食生活が絶えていこうとしていることに疑問を持ち、今守らないと絶えてしまうと、仲間が集まり活動を始めました。
 今、農業や食料が危機的な状態でいろいろな問題が次々と起っています。
私達は真剣にそのことを考えて、次の世代に何を残すかを考える必要があると思います。

司馬先生が残してくれました、日本人への伝言です。

<伝統の中の宝石の蔵>作家 司馬遼太郎 1977年

 ここ十数年、政治と言う概念を超えたほどに巨大な国家運営が、大胆すぎる取捨てをおこなったために、農業を惨憺たる状況に変えた。  「工業製品を外国に買ってもらう。そのかわりに、外国の農業製品を買う」という国家運営の基本構造が正しかったかどうか、後世の評価に待たなければならないが、ともかく、この基本構造の中で、農業(農政、農業経営、さらには農業技術までふくめて)は、歪曲と変形、変質を強いられ、それが社会に対しあらゆる意味での即応を不可能にしたばかりか、生産の基本というべき二千年来のモラルまでかきまわしてしまった。  この凄惨な状況から農業を救いだす道はいくつかあるかもしれないが、まだ一部の賢者の意見にすぎない。もっと多数の農民・非農民が、伝統のなかの知恵という宝石の蔵である古農書を検討し、そこからすぐさま何を得るというよりも、まず検討を仕直すという姿勢をとるところから再出発する必要があるのではないか。

NPO・地域支援農業サロンの公開ページ(blog)の開設


 【NPO・地域支援農業サロンからのご挨拶】

 NPO・地域支援農業サロンは、中山間地区の農業や環境保護、高齢者や障害者の支援を、活動目的としたNPOです。
その公開ページ(blog)の開設をしました。
 これから私達の活動報告や、私達の思いを事務局としてブログとしてまとめていきます。
 これから皆さんの支援やご意見、ご指導をえて、中山間地区の農業や環境保護活動、高齢者や障害者の支援活動してまいります。
 多くの方の参加や支援を歓迎します、今後よろしくお願いいたします。

     NPO地域支援農業サロン会長 中屋健次郎
                    理事長 宇田尚朗